おはようございます。サクです。
今年も残り僅か!!
今年は自分にとって幸運な年でした。とりのすけに入社して、たくさんの仲間、先輩に出会い、子供も産まれ人生が一変したなと思います。
そんな巡り合わせに感謝です。
来年の目標は近日中に発表いたします。まだ今年も4日ありますが自分に出会った人たち、これから出会うであろう人に感謝し今日もがんばります。
おはようございます。サクです。
今年も残り僅か!!
今年は自分にとって幸運な年でした。とりのすけに入社して、たくさんの仲間、先輩に出会い、子供も産まれ人生が一変したなと思います。
そんな巡り合わせに感謝です。
来年の目標は近日中に発表いたします。まだ今年も4日ありますが自分に出会った人たち、これから出会うであろう人に感謝し今日もがんばります。
1948年(昭和23年)、太平洋戦争後に日本に進駐し間接統治を行っていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本国内の競馬施行体で唯一の全国組織であった日本競馬会を独占禁止法に抵触する機関として問題視し、閉鎖を指示。同年7月の(新)競馬法施行に伴い日本競馬会は解散し、以後しばらく競馬は農林省競馬部により運営されることとなった(国営競馬)[14]。その後、1951年(昭和26年)に自由党内の競馬小委員会において「競馬民営化論」が提唱され、同年サンフランシスコ平和条約調印により日本の主権が回復されると民営化論はさらに活発化、1954年(昭和29年)には民営(農林省監督)による競馬施行体・日本中央競馬会の発足に至った[15]。しかし国家財政への寄与という名目で控除率が高く設定されたこともあり、客足は地方競馬や競輪といった新たな公営競技に向き[16]、民営化後第1回開催の売上は目標額に到達せず、その運営は前途多難なものだった[15]。日本中央競馬会初代理事長には、日露戦争当時から競馬の振興に取り組み、「競馬翁」の異名があった安田伊左衛門が就任したが、翌1955年(昭和30年)4月4日には第1次近衛内閣で農相を務めた有馬頼寧が第2代理事長に就任した[15]。
競馬が国営であった間、競馬関連の諸施設は部分的な補修、修理が行われていたものの、予算の関係上、大規模な改修は行うことができず、なかでも中山競馬場の大スタンドは老朽化が進み危険な状態にあった[15]。しかし当時の日本中央競馬会はその改修に充てる費用を持ちあわせていなかった[15]。そこで新理事長の有馬は、ときの農相・河野一郎ら政府関係者に働きかけ、「1960年(昭和35年)12月31日までの間、日本中央競馬会は農林大臣の許可を得て行う臨時の競馬開催により得た収益を、政府指定の建造物に限りその改築に充てて可なり、また収益の一部を国庫に納付する義務も負わない」という旨の、「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」、通称「有馬特例法」成立に漕ぎつけた[15]。そして翌1956年(昭和31年)1月1日、中山競馬場の大スタンドがこの法律の適用される「政令指定工作物」の第1号となり[15]、3月22日に特例法による臨時開催が中山で8日間[17]行われたのち、10月13日にスタンド新築を含む第1期工事が竣工した[18]。
中山改築前年の1955年(昭和30年)末、有馬は競馬会のパーティーにおいて、「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を明かした[16]。有馬は戦前にプロ野球・東京セネタースのオーナーを務めていたことがあり[16]、野球のオールスターゲームから着想を得て「ファン投票による出走馬選定」という企画に至った[18]。従来の中山では中山大障害と皐月賞が二大競走だったが、同じ関東の主要場であり、東京優駿(日本ダービー)、天皇賞(秋)、優駿牝馬(オークス)という大競走を抱える東京競馬場に比して格が落ちるという意識が中山の関係者間にもあり、この案は好意的に迎えられた[16]。さらにこの競走には、4歳クラシック競走を走り終えた4歳馬と、古馬(5歳以上馬)の最大目標である天皇賞(秋)を終えた馬がぶつかる日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった[16]。
第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年(昭和26年)にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もあった[18]。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられた[18]。競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに中山大賞典、中山王冠賞、中山王冠、中山栄冠賞、栄冠賞、中山大賞典記念、中山賞典、王冠、王冠賞、中山クラウン賞といったものがあった[18]。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ[18]、1956年(昭和31年)12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われた。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であった[16]。
第1回中山グランプリからわずか17日後の1957年(昭和32年)1月9日、有馬頼寧は肺炎により急逝する。理事長として1年9カ月という短い在任期間中に様々な功績を残した有馬を称え[18]、同年11月23日に中山グランプリは「有馬記念」と改称された[17]。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着[18]。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり[16]、1996年度には世界の競馬史上最高額の875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録された[19]。有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っている[18]。
国際競走となった2007年(平成19年)以降は優勝馬の国旗を表記する。
優勝馬の馬齢は、2000年(平成12年)以前も現行表記に揃えている。
競走名は第1回が「中山グランプリ」[2]、第2回以降は「有馬記念」。
回数 | 施行日 | 競馬場 | 距離 | 調教国・優勝馬 | 性齢 | タイム | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第1回 | 1956年12月23日 | 中山 | 芝・内2600m | メイヂヒカリ | 牡4 | 2:43 1/5 | 蛯名武五郎 | 藤本冨良 | 新田松江 |
第2回 | 1957年12月22日 | 中山 | 芝・内2600m | ハクチカラ | 牡4 | 2:49 0/5 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 西博 |
第3回 | 1958年12月21日 | 中山 | 芝・内2600m | オンワードゼア | 牡4 | 2:49 1/5 | 八木沢勝美 | 二本柳俊夫 | 樫山純三 |
第4回 | 1959年12月20日 | 中山 | 芝・内2600m | ガーネツト | 牝4 | 2:50.9 | 伊藤竹男 | 稗田敏男 | 畑江五郎 |
第5回 | 1960年12月18日 | 中山 | 芝・外2600m | スターロツチ | 牝3 | 2:44.5 | 高松三太 | 松山吉三郎 | 藤井金次郎 |
第6回 | 1961年12月24日 | 中山 | 芝・外2600m | ホマレボシ | 牡4 | 2:40.8 | 高松三太 | 稗田敏男 | 川口文子 |
第7回 | 1962年12月23日 | 中山 | 芝・外2600m | オンスロート | 牡5 | 2:44.4 | 山岡忞 | 中村広 | 田村喜志 |
第8回 | 1963年12月22日 | 中山 | 芝・外2600m | リユウフオーレル | 牡4 | 2:42.5 | 宮本悳 | 橋本正晴 | 三好笑子 |
第9回 | 1964年12月27日 | 中山 | 芝・外2600m | ヤマトキヨウダイ | 牡4 | 2:45.1 | 梶与四松 | 稲葉幸夫 | 門井みち |
第10回 | 1965年12月26日 | 中山 | 芝・外2600m | シンザン | 牡4 | 2:47.2 | 松本善登 | 武田文吾 | 橋元幸吉 |
第11回 | 1966年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | コレヒデ | 牡4 | 2:37.0 | 保田隆芳 | 尾形藤吉 | 千明康 |
第12回 | 1967年12月24日 | 中山 | 芝・内2500m | カブトシロー | 牡5 | 2:39.7 | 大崎昭一 | 久保田彦之 | (有)志賀 |
第13回 | 1968年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | リュウズキ | 牡4 | 2:46.2 | 森安弘明 | 矢倉玉男 | 福井章哉 |
第14回 | 1969年12月21日 | 中山 | 芝・内2500m | スピードシンボリ | 牡6 | 2:35.1 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
第15回 | 1970年12月20日 | 中山 | 芝・内2500m | スピードシンボリ | 牡7 | 2:35.7 | 野平祐二 | 野平省三 | 和田共弘 |
第16回 | 1971年12月19日 | 中山 | 芝・内2500m | トウメイ | 牝5 | 2:36.0 | 清水英次 | 坂田正行 | 近藤克夫 |
第17回 | 1972年12月17日 | 中山 | 芝・内2500m | イシノヒカル | 牡3 | 2:38.5 | 増沢末夫 | 浅野武志 | 石嶋清仁 |
第18回 | 1973年12月16日 | 中山 | 芝・内2500m | ストロングエイト | 牡4 | 2:36.4 | 中島啓之 | 奥平真治 | (有)ハイランド牧場 |
第19回 | 1974年12月15日 | 中山 | 芝・内2500m | タニノチカラ | 牡5 | 2:35.9 | 田島日出雄 | 島崎宏 | 谷水雄三 |
第20回 | 1975年12月14日 | 中山 | 芝・内2500m | イシノアラシ | 牡3 | 2:38.1 | 加賀武見 | 浅野武志 | 石嶋清仁 |
第21回 | 1976年12月19日 | 中山 | 芝・内2500m | トウショウボーイ | 牡3 | 2:34.0 | 武邦彦 | 保田隆芳 | トウショウ産業(株) |
第22回 | 1977年12月18日 | 中山 | 芝・内2500m | テンポイント | 牡4 | 2:35.4 | 鹿戸明 | 小川佐助 | 高田久成 |
第23回 | 1978年12月17日 | 中山 | 芝・内2500m | カネミノブ | 牡4 | 2:33.4 | 加賀武見 | 阿部新生 | 角替光二 |
第24回 | 1979年12月16日 | 中山 | 芝・内2500m | グリーングラス | 牡6 | 2:35.4 | 大崎昭一 | 中野隆良 | 半沢吉四郎 |
第25回 | 1980年12月21日 | 中山 | 芝・内2500m | ホウヨウボーイ | 牡5 | 2:33.7 | 加藤和宏 | 二本柳俊夫 | 古川嘉治 |
第26回 | 1981年12月20日 | 中山 | 芝・内2500m | アンバーシャダイ | 牡4 | 2:35.5 | 東信二 | 二本柳俊夫 | 吉田善哉 |
第27回 | 1982年12月26日 | 中山 | 芝・内2500m | ヒカリデユール | 牡5 | 2:36.7 | 河内洋 | 須貝彦三 | 橋本善吉 |
第28回 | 1983年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | リードホーユー | 牡3 | 2:34.0 | 田原成貴 | 服部正利 | 熊本芳雄 |
第29回 | 1984年12月23日 | 中山 | 芝・内2500m | シンボリルドルフ | 牡3 | 2:32.8 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | シンボリ牧場 |
第30回 | 1985年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | シンボリルドルフ | 牡4 | 2:33.1 | 岡部幸雄 | 野平祐二 | シンボリ牧場 |
第31回 | 1986年12月21日 | 中山 | 芝・内2500m | ダイナガリバー | 牡3 | 2:34.0 | 増沢末夫 | 松山吉三郎 | (有)社台レースホース |
第32回 | 1987年12月27日 | 中山 | 芝・内2500m | メジロデュレン | 牡4 | 2:33.9 | 村本善之 | 池江泰郎 | メジロ商事(株) |
第33回 | 1988年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | オグリキャップ | 牡3 | 2:33.9 | 岡部幸雄 | 瀬戸口勉 | 佐橋五十雄 |
第34回 | 1989年12月24日 | 中山 | 芝・内2500m | イナリワン | 牡5 | 2:31.7 | 柴田政人 | 鈴木清 | 保手浜弘規 |
第35回 | 1990年12月23日 | 中山 | 芝・内2500m | オグリキャップ | 牡5 | 2:34.2 | 武豊 | 瀬戸口勉 | 近藤俊典 |
第36回 | 1991年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | ダイユウサク | 牡6 | 2:30.6 | 熊沢重文 | 内藤繁春 | 橋元幸平 |
第37回 | 1992年12月27日 | 中山 | 芝・内2500m | メジロパーマー | 牡5 | 2:33.5 | 山田泰誠 | 大久保正陽 | (有)メジロ牧場 |
第38回 | 1993年12月26日 | 中山 | 芝・内2500m | トウカイテイオー | 牡5 | 2:30.9 | 田原成貴 | 松元省一 | 内村正則 |
第39回 | 1994年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | ナリタブライアン | 牡3 | 2:32.2 | 南井克巳 | 大久保正陽 | 山路秀則 |
第40回 | 1995年12月24日 | 中山 | 芝・内2500m | マヤノトップガン | 牡3 | 2:33.6 | 田原成貴 | 坂口正大 | 田所祐 |
第41回 | 1996年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | サクラローレル | 牡5 | 2:33.8 | 横山典弘 | 境勝太郎 | (株)さくらコマース |
第42回 | 1997年12月21日 | 中山 | 芝・内2500m | シルクジャスティス | 牡3 | 2:34.8 | 藤田伸二 | 大久保正陽 | 有限会社シルク |
第43回 | 1998年12月27日 | 中山 | 芝・内2500m | グラスワンダー | 牡3 | 2:32.1 | 的場均 | 尾形充弘 | 半沢(有) |
第44回 | 1999年12月26日 | 中山 | 芝・内2500m | グラスワンダー | 牡4 | 2:37.2 | 的場均 | 尾形充弘 | 半沢(有) |
第45回 | 2000年12月24日 | 中山 | 芝・内2500m | テイエムオペラオー | 牡4 | 2:34.1 | 和田竜二 | 岩元市三 | 竹園正繼 |
第46回 | 2001年12月23日 | 中山 | 芝・内2500m | マンハッタンカフェ | 牡3 | 2:33.1 | 蛯名正義 | 小島太 | 西川清 |
第47回 | 2002年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | シンボリクリスエス | 牡3 | 2:32.6 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第48回 | 2003年12月28日 | 中山 | 芝・内2500m | シンボリクリスエス | 牡4 | 2:30.5 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | シンボリ牧場 |
第49回 | 2004年12月26日 | 中山 | 芝・内2500m | ゼンノロブロイ | 牡4 | 2:29.5 | O.ペリエ | 藤沢和雄 | 大迫忍 |
第50回 | 2005年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | ハーツクライ | 牡4 | 2:31.9 | C.ルメール | 橋口弘次郎 | (有)社台レースホース |
第51回 | 2006年12月24日 | 中山 | 芝・内2500m | ディープインパクト | 牡4 | 2:31.9 | 武豊 | 池江泰郎 | 金子真人ホールディングス(株) |
第52回 | 2007年12月23日 | 中山 | 芝・内2500m | マツリダゴッホ | 牡4 | 2:33.6 | 蛯名正義 | 国枝栄 | 高橋文枝 |
第53回 | 2008年12月28日 | 中山 | 芝・内2500m | ダイワスカーレット | 牝4 | 2:31.5 | 安藤勝己 | 松田国英 | 大城敬三 |
第54回 | 2009年12月27日 | 中山 | 芝・内2500m | ドリームジャーニー | 牡5 | 2:30.0 | 池添謙一 | 池江泰寿 | (有)サンデーレーシング |
第55回 | 2010年12月26日 | 中山 | 芝・内2500m | ヴィクトワールピサ | 牡3 | 2:32.6 | M.デムーロ | 角居勝彦 | 市川義美 |
第56回 | 2011年12月25日 | 中山 | 芝・内2500m | オルフェーヴル | 牡3 | 2:36.0 | 池添謙一 | 池江泰寿 | (有)サンデーレーシング |
第57回 | 2012年12月23日 | 中山 | 芝・内2500m | ゴールドシップ | 牡3 | 2:31.9 | 内田博幸 | 須貝尚介 | 小林英一 |
第58回 | 2013年12月22日 | 中山 | 芝・内2500m | オルフェーヴル | 牡5 | 2:32.3 | 池添謙一 | 池江泰寿 | (有)サンデーレーシング |
おはようございます!
もう2014年も終わりですね!
今年の目標は年初めに設けたのですが忘れてしまっているので、来年の目標は忘れないように実行したいと思います!
文章表現が苦手なので近日にまとめていきます!
本日は若干の空席ございますので、皆様のご来店お待ちしております
おはようございます。
本日はいつもお世話になっている日吉の美容室アクトのお話をさせて頂きます。
僕たちは夜の仕事で、休みも不定休であまり予約をして美容室に習慣がなく、いつもいきなり行ってしまいます。
そんな中忙しいにもかかわらず、いつも笑顔で最高のおもてなしをしてくれる美容室アクトが大好きです。
接客の鏡だと僕は自主しております。うちのスタッフは大体美容室アクトにお世話になっております。おそらく油や炭臭いはずなのにそんなことも気にせず、誠心誠意対応してくれます。オーナ様の人柄がスタッフに引き継がれていて僕自身いつも尊敬の目で見ております。
疲れている中、仕事が終わった後に食べに来てくれて、何年も通ってくれるスタッフの皆様ありがとう!
狭い店でごめんなさい。
ブログを見ている皆様絶対にオススメいたします。是非ご来店を!!
店長/ディレクター 布 久美子 |
ディレクター 高瀬 千夏子 |
チーフ/トップスタイリスト Marico (馬場 麻梨子) |
スタイリスト Saki (高橋 沙希) |
スタイリスト 高嶋 拓也 |
アイリスト Hikari |
アシスタント 羽地 大希 |
アシスタント 角和 賢人 |
レセプション 川村 幸緒 |
ディレクター 菅野 信一 |
おはようございます。
今年も後少しですね。
いろいろたくさんの思い出を頂きありがとうございます(*´∀`*)カウントダウンまで残りわずかですが、楽しい時間を一緒に過ごしましょ!
今年は従業員に子供が生まれ(*´∀`*) 結婚報告もあり、みんな仕事にもなれ、一人一人が新しいことにチャレンジしています。
楽しそうにしているみんなが僕自身の励みになり、やる気スイッチを与えてくれます。
みんなに幸運をもたらすためにも、前向きに、明るく、何事も楽しめる器のでかい人間になれるよう
今日から変わります。こんな僕ですが、しばらくは日吉本町本店にてお客様をおまちしておりますので一度お話しませんか?
お待ちしております。まーくん
おはよーございます!
本店店長の高地です☆
今朝のテレビで来年2015年は映画「バックトゥザフューチャー2」の舞台設定の年だとやってました( ´ ▽ ` )
昔映画を見た時は近未来を感じさせる描写でしたが、実際の2015年は特に何かが浮いたりすることが無さそうなので残念です(´д`)
でも映画の中で出てきた浮くスケボーが実際に来年発売されるそうです(゚∀゚)
お値段は140万らしいです( ̄▽ ̄;)
高すぎるので買えませんが一回乗ってみたいもんです(^ω^)
もうちょっとしたらそんな時代がくるのかしら(*´ω`*)
じゃ、また( ´ ▽ ` )ノ
ども!!浜銀店長のたかゆきですヽ(・∀・)ノ
昨日はたくさんのご来店ありがとうございます♪お通し出来なかったお客様すみませんm(__)m
今年最後の金曜土曜ということで自然とやる気スイッチ全開です(。・ ω<)ゞ
本日も多数のご予約を頂いております♪ありがとうございます!!
団体様は2次会などまだ場所が決まってない方は遅い時間帯まだまだチャンスありますので
お気軽にお電話ください!!0455650222
ではでは
おはよーございます!
本店店長の高地です☆
今日で仕事納の方が多くいらっしゃるようですね(´∀`)
なにやら年末年始は爆弾低気圧がどーたらこーたらで場所によっては10年に1度の大雪になるそうで大変そうです(´Д` )
この辺が大雪にならないことを祈ります(´-`)
それにしても爆弾低気圧て・・・
なんだか凄そうなのはわかるけどもっと他のネーミングは無かったのか・・・(´△`)」
本日もたくさんの御来店お待ちしてます♪
ども!!浜銀店長のたかゆきですヽ(・∀・)ノ
さて今年ももう1週間をきっております!!
今年の目標は車を買うでしだので無事にクリアすることが出来ました(*^_^*)
来年の目標も今のうちに決めて
新年すぐにでも行動できるように準備していきたいですね♪
さて本日の浜銀通りは早い時間帯はお座敷が埋まっております!!
21時以降から空席出来始めますのでよろしければお電話ください!!(^-^)
お席の確保いたしますよ(^O^)♡
今年もラストスパート!!!!!
元気に頑張っていきます!!
ではでは