本日は有馬記念!!!

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歴史[編集]

有馬頼寧と「有馬特例法」[編集]

1948年(昭和23年)、太平洋戦争後に日本に進駐し間接統治を行っていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、日本国内の競馬施行体で唯一の全国組織であった日本競馬会独占禁止法に抵触する機関として問題視し、閉鎖を指示。同年7月の(新)競馬法施行に伴い日本競馬会は解散し、以後しばらく競馬は農林省競馬部により運営されることとなった(国営競馬[14]。その後、1951年(昭和26年)に自由党内の競馬小委員会において「競馬民営化論」が提唱され、同年サンフランシスコ平和条約調印により日本の主権が回復されると民営化論はさらに活発化、1954年(昭和29年)には民営(農林省監督)による競馬施行体・日本中央競馬会の発足に至った[15]。しかし国家財政への寄与という名目で控除率が高く設定されたこともあり、客足は地方競馬競輪といった新たな公営競技に向き[16]、民営化後第1回開催の売上は目標額に到達せず、その運営は前途多難なものだった[15]。日本中央競馬会初代理事長には、日露戦争当時から競馬の振興に取り組み、「競馬翁」の異名があった安田伊左衛門が就任したが、翌1955年(昭和30年)4月4日には第1次近衛内閣で農相を務めた有馬頼寧が第2代理事長に就任した[15]

競馬が国営であった間、競馬関連の諸施設は部分的な補修、修理が行われていたものの、予算の関係上、大規模な改修は行うことができず、なかでも中山競馬場の大スタンドは老朽化が進み危険な状態にあった[15]。しかし当時の日本中央競馬会はその改修に充てる費用を持ちあわせていなかった[15]。そこで新理事長の有馬は、ときの農相・河野一郎ら政府関係者に働きかけ、「1960年(昭和35年)12月31日までの間、日本中央競馬会は農林大臣の許可を得て行う臨時の競馬開催により得た収益を、政府指定の建造物に限りその改築に充てて可なり、また収益の一部を国庫に納付する義務も負わない」という旨の、「日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律」、通称「有馬特例法」成立に漕ぎつけた[15]。そして翌1956年(昭和31年)1月1日、中山競馬場の大スタンドがこの法律の適用される「政令指定工作物」の第1号となり[15]、3月22日に特例法による臨時開催が中山で8日間[17]行われたのち、10月13日にスタンド新築を含む第1期工事が竣工した[18]

中山グランプリ創設 – 「有馬記念」へ[編集]

中山改築前年の1955年(昭和30年)末、有馬は競馬会のパーティーにおいて、「ファンが決めるレースを中山でやってみたい」という腹案を明かした[16]。有馬は戦前にプロ野球・東京セネタースのオーナーを務めていたことがあり[16]、野球のオールスターゲームから着想を得て「ファン投票による出走馬選定」という企画に至った[18]。従来の中山では中山大障害皐月賞が二大競走だったが、同じ関東の主要場であり、東京優駿(日本ダービー)天皇賞(秋)優駿牝馬(オークス)という大競走を抱える東京競馬場に比して格が落ちるという意識が中山の関係者間にもあり、この案は好意的に迎えられた[16]。さらにこの競走には、4歳クラシック競走を走り終えた4歳馬と、古馬(5歳以上馬)の最大目標である天皇賞(秋)を終えた馬がぶつかる日本一決定戦という大きな要素も加えられることとなった[16]

第1回の競走名は「中山グランプリ」とされた。フランスには「パリ大賞(Grand Prix de Paris)」という名の大競走があったものの、日本において「グランプリ」という語は、黒澤明監督の映画『羅生門』が1951年(昭和26年)にヴェネツィア国際映画祭の最高賞(グランプリ)を受賞してから巷間に広まり、ために当時は映画絡みの言葉という感が強く、競馬の競走名として適当でないとの見方もあった[18]。このため、「中山グランプリ」はあくまでも仮の名称として、第1回競走の投票用紙には競走名の案を書く欄も設けられた[18]。競走名案には3812通が寄せられ、中山グランプリのほかに中山大賞典、中山王冠賞、中山王冠、中山栄冠賞、栄冠賞、中山大賞典記念、中山賞典、王冠、王冠賞、中山クラウン賞といったものがあった[18]。しかし妙案がないということで競走名は「中山グランプリ」のまま据え置かれ[18]、1956年(昭和31年)12月23日、新スタンドを備えた中山競馬場において第1回競走が行われた。出走12頭のうち、天皇賞の優勝馬が3頭、クラシック競走の優勝馬が4頭と当時の強豪が一堂に会し、中山では1万人入れば大入りといわれた時代にあって、当日の入場者は2万7801人という盛況であった[16]

第1回中山グランプリからわずか17日後の1957年(昭和32年)1月9日、有馬頼寧は肺炎により急逝する。理事長として1年9カ月という短い在任期間中に様々な功績を残した有馬を称え[18]、同年11月23日に中山グランプリは「有馬記念」と改称された[17]。その後、有馬記念は日本競馬の根幹競走のひとつとして定着[18]。また、勝馬投票券の売上は日本一を誇る競走となり[16]、1996年度には世界の競馬史上最高額の875億円を売り上げ、ギネス世界記録に認定登録された[19]。有馬記念は競馬界のみならず日本の年末の風物詩として、社会的な認知を得るに至っている[18]

年譜[編集]

  • 1956年(昭和31年) – 4歳以上の馬による重賞競走「中山グランプリ」を創設、中山競馬場の芝2600m(内回り)で施行[2]
  • 1957年(昭和32年) – 名称を「有馬記念」に変更[2]
  • 1960年(昭和35年) – 施行コースを芝2600m(外回り)に変更[2]
  • 1966年(昭和41年) – 施行コースを芝2500m(内回り)に変更[2]。これ以降、この施行距離が定着。
  • 1984年(昭和59年) – グレード制導入、GI[注 6]に格付け。
  • 1995年(平成7年) – 指定交流競走となり、地方競馬所属馬も出走が可能に[2]
  • 2001年(平成13年)
    • 馬齢表示を国際基準へ変更したことに伴い、競走条件を「3歳以上」に変更[2]
    • 敬宮愛子内親王御誕生慶祝」の副称を付けて施行[2]
  • 2007年(平成19年) – 国際競走に指定され、外国調教馬が6頭まで出走可能に[2]

歴代優勝馬[編集]

国際競走となった2007年(平成19年)以降は優勝馬の国旗を表記する。

優勝馬の馬齢は、2000年(平成12年)以前も現行表記に揃えている。

競走名は第1回が「中山グランプリ」[2]、第2回以降は「有馬記念」。

回数 施行日 競馬場 距離 調教国・優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1956年12月23日 中山 芝・内2600m メイヂヒカリ 牡4 2:43 1/5 蛯名武五郎 藤本冨良 新田松江
第2回 1957年12月22日 中山 芝・内2600m ハクチカラ 牡4 2:49 0/5 保田隆芳 尾形藤吉 西博
第3回 1958年12月21日 中山 芝・内2600m オンワードゼア 牡4 2:49 1/5 八木沢勝美 二本柳俊夫 樫山純三
第4回 1959年12月20日 中山 芝・内2600m ガーネツト 牝4 2:50.9 伊藤竹男 稗田敏男 畑江五郎
第5回 1960年12月18日 中山 芝・外2600m スターロツチ 牝3 2:44.5 高松三太 松山吉三郎 藤井金次郎
第6回 1961年12月24日 中山 芝・外2600m ホマレボシ 牡4 2:40.8 高松三太 稗田敏男 川口文子
第7回 1962年12月23日 中山 芝・外2600m オンスロート 牡5 2:44.4 山岡忞 中村広 田村喜志
第8回 1963年12月22日 中山 芝・外2600m リユウフオーレル 牡4 2:42.5 宮本悳 橋本正晴 三好笑子
第9回 1964年12月27日 中山 芝・外2600m ヤマトキヨウダイ 牡4 2:45.1 梶与四松 稲葉幸夫 門井みち
第10回 1965年12月26日 中山 芝・外2600m シンザン 牡4 2:47.2 松本善登 武田文吾 橋元幸吉
第11回 1966年12月25日 中山 芝・内2500m コレヒデ 牡4 2:37.0 保田隆芳 尾形藤吉 千明康
第12回 1967年12月24日 中山 芝・内2500m カブトシロー 牡5 2:39.7 大崎昭一 久保田彦之 (有)志賀
第13回 1968年12月22日 中山 芝・内2500m リュウズキ 牡4 2:46.2 森安弘明 矢倉玉男 福井章哉
第14回 1969年12月21日 中山 芝・内2500m スピードシンボリ 牡6 2:35.1 野平祐二 野平省三 和田共弘
第15回 1970年12月20日 中山 芝・内2500m スピードシンボリ 牡7 2:35.7 野平祐二 野平省三 和田共弘
第16回 1971年12月19日 中山 芝・内2500m トウメイ 牝5 2:36.0 清水英次 坂田正行 近藤克夫
第17回 1972年12月17日 中山 芝・内2500m イシノヒカル 牡3 2:38.5 増沢末夫 浅野武志 石嶋清仁
第18回 1973年12月16日 中山 芝・内2500m ストロングエイト 牡4 2:36.4 中島啓之 奥平真治 (有)ハイランド牧場
第19回 1974年12月15日 中山 芝・内2500m タニノチカラ 牡5 2:35.9 田島日出雄 島崎宏 谷水雄三
第20回 1975年12月14日 中山 芝・内2500m イシノアラシ 牡3 2:38.1 加賀武見 浅野武志 石嶋清仁
第21回 1976年12月19日 中山 芝・内2500m トウショウボーイ 牡3 2:34.0 武邦彦 保田隆芳 トウショウ産業(株)
第22回 1977年12月18日 中山 芝・内2500m テンポイント 牡4 2:35.4 鹿戸明 小川佐助 高田久成
第23回 1978年12月17日 中山 芝・内2500m カネミノブ 牡4 2:33.4 加賀武見 阿部新生 角替光二
第24回 1979年12月16日 中山 芝・内2500m グリーングラス 牡6 2:35.4 大崎昭一 中野隆良 半沢吉四郎
第25回 1980年12月21日 中山 芝・内2500m ホウヨウボーイ 牡5 2:33.7 加藤和宏 二本柳俊夫 古川嘉治
第26回 1981年12月20日 中山 芝・内2500m アンバーシャダイ 牡4 2:35.5 東信二 二本柳俊夫 吉田善哉
第27回 1982年12月26日 中山 芝・内2500m ヒカリデユール 牡5 2:36.7 河内洋 須貝彦三 橋本善吉
第28回 1983年12月25日 中山 芝・内2500m リードホーユー 牡3 2:34.0 田原成貴 服部正利 熊本芳雄
第29回 1984年12月23日 中山 芝・内2500m シンボリルドルフ 牡3 2:32.8 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第30回 1985年12月22日 中山 芝・内2500m シンボリルドルフ 牡4 2:33.1 岡部幸雄 野平祐二 シンボリ牧場
第31回 1986年12月21日 中山 芝・内2500m ダイナガリバー 牡3 2:34.0 増沢末夫 松山吉三郎 (有)社台レースホース
第32回 1987年12月27日 中山 芝・内2500m メジロデュレン 牡4 2:33.9 村本善之 池江泰郎 メジロ商事(株)
第33回 1988年12月25日 中山 芝・内2500m オグリキャップ 牡3 2:33.9 岡部幸雄 瀬戸口勉 佐橋五十雄
第34回 1989年12月24日 中山 芝・内2500m イナリワン 牡5 2:31.7 柴田政人 鈴木清 保手浜弘規
第35回 1990年12月23日 中山 芝・内2500m オグリキャップ 牡5 2:34.2 武豊 瀬戸口勉 近藤俊典
第36回 1991年12月22日 中山 芝・内2500m ダイユウサク 牡6 2:30.6 熊沢重文 内藤繁春 橋元幸平
第37回 1992年12月27日 中山 芝・内2500m メジロパーマー 牡5 2:33.5 山田泰誠 大久保正陽 (有)メジロ牧場
第38回 1993年12月26日 中山 芝・内2500m トウカイテイオー 牡5 2:30.9 田原成貴 松元省一 内村正則
第39回 1994年12月25日 中山 芝・内2500m ナリタブライアン 牡3 2:32.2 南井克巳 大久保正陽 山路秀則
第40回 1995年12月24日 中山 芝・内2500m マヤノトップガン 牡3 2:33.6 田原成貴 坂口正大 田所祐
第41回 1996年12月22日 中山 芝・内2500m サクラローレル 牡5 2:33.8 横山典弘 境勝太郎 (株)さくらコマース
第42回 1997年12月21日 中山 芝・内2500m シルクジャスティス 牡3 2:34.8 藤田伸二 大久保正陽 有限会社シルク
第43回 1998年12月27日 中山 芝・内2500m グラスワンダー 牡3 2:32.1 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第44回 1999年12月26日 中山 芝・内2500m グラスワンダー 牡4 2:37.2 的場均 尾形充弘 半沢(有)
第45回 2000年12月24日 中山 芝・内2500m テイエムオペラオー 牡4 2:34.1 和田竜二 岩元市三 竹園正繼
第46回 2001年12月23日 中山 芝・内2500m マンハッタンカフェ 牡3 2:33.1 蛯名正義 小島太 西川清
第47回 2002年12月22日 中山 芝・内2500m シンボリクリスエス 牡3 2:32.6 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第48回 2003年12月28日 中山 芝・内2500m シンボリクリスエス 牡4 2:30.5 O.ペリエ 藤沢和雄 シンボリ牧場
第49回 2004年12月26日 中山 芝・内2500m ゼンノロブロイ 牡4 2:29.5 O.ペリエ 藤沢和雄 大迫忍
第50回 2005年12月25日 中山 芝・内2500m ハーツクライ 牡4 2:31.9 C.ルメール 橋口弘次郎 (有)社台レースホース
第51回 2006年12月24日 中山 芝・内2500m ディープインパクト 牡4 2:31.9 武豊 池江泰郎 金子真人ホールディングス(株)
第52回 2007年12月23日 中山 芝・内2500m 日本の旗マツリダゴッホ 牡4 2:33.6 蛯名正義 国枝栄 高橋文枝
第53回 2008年12月28日 中山 芝・内2500m 日本の旗ダイワスカーレット 牝4 2:31.5 安藤勝己 松田国英 大城敬三
第54回 2009年12月27日 中山 芝・内2500m 日本の旗ドリームジャーニー 牡5 2:30.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第55回 2010年12月26日 中山 芝・内2500m 日本の旗ヴィクトワールピサ 牡3 2:32.6 M.デムーロ 角居勝彦 市川義美
第56回 2011年12月25日 中山 芝・内2500m 日本の旗オルフェーヴル 牡3 2:36.0 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング
第57回 2012年12月23日 中山 芝・内2500m 日本の旗ゴールドシップ 牡3 2:31.9 内田博幸 須貝尚介 小林英一
第58回 2013年12月22日 中山 芝・内2500m 日本の旗オルフェーヴル 牡5 2:32.3 池添謙一 池江泰寿 (有)サンデーレーシング

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